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SPORTECの2日目。
初日の状況を見て、ブース内部まで入ってみえることは無いということになり、配置を変えたところ、一転して忙しくなりました。
初日の倍どころか3倍以上の問い合わせとなりました。
まだまだ改善点は多いと思いますが、ホッとしました。
仕事としてはホッとしていましたが、名古屋から「父親の調子が悪くなっている」とのLINEがちょくちょく入ってきます。
実は父が肺を患い入院していたのですが、きっと大丈夫だろうと思い出展に来ていました。
しかし状況が変わってきて、母や姉のLINEから「恐らく明日はもたないだろう」と判断し、出展最終日はkakoに任せて、20時過ぎに僕だけ東京を出ました。
午前1時前に名古屋の病院に到着して、5分後に父の呼吸が止まります。
ここは看護師さんが起こして、再度呼吸が始まったのでほっとしたのですが、脈がかなり弱いとのこと。
姉はそこにいましたが、母が一時帰宅していたので、迎えに行きました。
母が合流し2時間ほど病室で家族4人の時間を過ごしました(みんなでしるこ飲んだりしました)
父の四肢の冷えが酷くなってきたので、どういう状況なのかスマホで調べたりしていましたが、4時に心拍が急激に上がったと同時に呼吸が止まって、今回は起きることはなく旅立ちました。
享年84歳でした。
父親は肺の小細胞癌というかなり厄介な癌にかかり、宣告当初に余命1ヶ月と言われましたが、半年ほど頑張りました。
「出展に行ってくるから待っててな」と言って出かけてきましたが、本当に待っていてくれました。
僕が戻った時には苦しそうに呼吸しており「帰ってきたから、もう無理しなくていいよ」と呼びかけたところ、その1時間後に旅立ちました。
2日目の出展をすると判断した時は、立ち会うのはもう無理だと思い、どんだけ不良息子だと思いましたが、ギリギリまで待ってくれて、本当に良かったです。
そのまま3日間喪主を務め(と言っても母と姉が全て仕切ってくれたので、僕は飾りでした)させてもらいました。
出展3日目と後片付けを一人でこなし、返す刀で一連の葬儀もサポートしてくれたkakoに感謝します。
また明日から頑張ります。